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梅干しを干しながら

時の流れを実感できないまま、いつの間にか八月になってしまいました。
季節を感じるための楽しみの時間を、すべて新型コロナウィルスに奪われてしまったような、そんな感じ。
別に多くの人が集まるイベントや、場所に出かけたいわけでもないですし…。ただ、私にとっては「ふらりと旅に出かけられない」ということが、一番さみしいことのような気がします。

部屋にこもってリモートで仲間と仕事をすることも、藪庭のお手入れだけで一日が終わることも、一人で一言も発せずにいるのはいつものことですから構わないのです。
ただ、スケジュールに数日の余白ができた瞬間、「ちょっと、出かけてくる」と自分のテリトリーから逃避することが出来ないのが、辛い。
今年はお花見のピークが終わった頃から、隙間を狙って京都探訪を始めてみたいな…なんてことをぼんやり考えてもいましたし、やっと大人らしく(?)ゆっくり歩く旅をしたくなっていたのです。

いつまで経っても明けない長梅雨でしたが、8月からは猛暑に突入。
その容赦ない日差しを利用して、昨年漬けたままで土用干が出来ていなかった梅干しを並べました。

藪庭の老梅が落としてくれる梅の実は、年によってそれはもう見事で美しかったり、いじけて今ひとつであったりと、表情が違うのです。ですから、私も無理して頑張って毎年欠かさず梅干しを漬けようとはしなくなりました。
「うわ、すごく美味しそう。これは梅干しにしなきゃもったいない!」
そう思ったら、無理なく作れる分だけ拾って、ちゃちゃっと塩漬けしてしまいます。塩分は昔ながらの15%くらいで、おいしい塩を使って。

丸一年が過ぎてしまった梅干しを出してみたら、見事にむらなく染まり、すでに塩味の角も取れてまあるい味になっておりました。

日中は陽にしっかりと当て、夕方から玄関に取り込むと「うわ! 梅臭すごいね!」と喜ぶ声が上がります。
見ただけで、その香りが鼻先をくすぐるだけで、ほっぺたの奥からじゅわっと唾液が溢れてくるのですから、やっぱり日本人だなぁと思います。

それにしても、ほんとうに、厄介な夏になってしまいました。
すっかり必須になってしまったマスクに邪魔されて、息が浅くならないように、体力が落ちないようにしなくては。
もちろん気力も落とさないように。
音を合わせる力(感覚みたいなもの?)も、自分から対策を考えて動いてゆかないと、あっという間に落ちてしまうように感じます。

塩っぱい梅干しをつまみながら、密を避けて(もともと得意ではないので気楽なものです)、隙間を狙って、いろんな計画を進めています。
不要不急のものこそが、私にとっては欠かせない大切なものであるということ。
自分で考えて動かなければ、人間はぷしゅうっとしぼんで退化ゆくのではないかと、自分にしっかりと問いかけ、学び直す夏です。