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体は魂のいれもの

昨年から私の周辺でちょっとしたことが続き、ふと心に浮かんだのが「体は魂のいれもの」というフレーズでした。

たっぷりと水を張った水瓶があったとして、長く使い続けているうちに細かなひびが入っていたりする。早く気づいたらちょっと塞いであげることで、水が漏れる前に防ぐことが出来る。
縁が欠けた時には、ちょいっと金継ぎなんてすると、なお素敵にもなる。

でもそのまま放置していると水は漏れ続け、周囲を水浸しにしてしまう。
また、ひびが入っているにもかかわらず、一気に水圧を高めたりもっともっとと詰め込もうとすると、負荷のかかったひびは大きくなり、ある日いきなり割れてしまう。

突然に割れたのではない。
自分が気づかずに割ってしまうのだ。
ちょっとくらい漏れてたっていいやとか、これくらいで割れるはずなんかないしね、と根拠のないことを思って。

年齢を重ねることで人間の体はどんどん古くなり、痛んできます。
あちこちひびも出来るし、つやもなくなるし、やれやれです。

であればこそ、せめて水の漏れない、割れたりしない、いい感じの骨董品ぐらいには仕上げてゆきたいと思うのです。
自分の大切な魂の入った、この体といういれものの面倒を最後まで見てあげられるのは、自分しかいないのですから。

ここ鹿児島は真冬になったというのに、小春日和が続いています。
外に出ているのが億劫ではないので、長く使っているお気に入りの鉢を並べて、パンジーやヴィオラを植え込みました。

いつも真っ向勝負で育てていらっしゃる霧島の庭人さんの苗なのですから、花と鉢の色の組み合わせにはこちらも頭を使います。

器も中味も、どちらもだいじにしないとね。
なんとなくそんなことを思う年の始まりです。